日本最高のレフティー、ジュビロ磐田、名波浩選手、現役引退。
ジュビロ磐田のMF名波浩選手の現役引退が発表されました。
名波選手のオフィシャル・サポーターズ・クラブ「LEFTY」に、サポーターへの直筆メッセージがアップされていますが、森島寛晃選手に続き、日本サッカーを支えてきた名選手が、ピッチを去る、というニューズは、とても残念です。
名波選手は、静岡・清水商高から順天堂大へ進学。
学生時代から輝かしい成績を残しており、高校時代は、全国高校選手権、高校総体、全日本ユース選手権の3冠、大学時代には総理大臣杯を獲得。
1995年にジュビロ磐田に入団し、1年目から中心選手として活躍するとともに、日本代表にも選出。
ちなみに、僕の日本代表初観戦は、95年8月6日、京都・西京極陸上競技場での、日本代表vsコスタリカ代表。
名波選手は、この試合で代表初先発、見事代表初ゴールを決めています。
97年には、Jリーグ2ndステージ優勝、そしてアントラーズを破って年間王者に。
98年は、Jリーグ1ndステージ優勝、ナビスコカップ優勝。
99年にも、Jリーグ1ndステージ優勝、アジアクラブ選手権優勝。
中山雅史選手、藤田俊哉選手、ドゥンガ選手、福西崇史選手らとともに、ジュビロ黄金時代を作り上げました。
ちなみに、98年1stステージ第6節、わがセレッソは、ホーム長居で、ジュビロに1-9という記録的大敗を喫しています。
99年には、セリエAのヴェネチアへ移籍。
中田英寿選手のペルージャとの試合は、中継をライブで見ました。
名波選手は、日本代表でも活躍。
97年フランスW杯で、3試合すべてスタメン出場。
ジュビロ復帰後の2000年には、日本をアジアカップ優勝に導く原動力となり、大会MVPを獲得しました。
2001年に右ひざを痛めるも復活、2002年には、1stステージ・2ndステージとも制し、Jリーグ初の完全優勝。
2003年には、第83回天皇杯優勝。
ジュビロの決勝の対戦相手は、セレッソ。
過去2度、決勝の舞台で敗れているセレッソ、3度目の正直といきたかったところでしたが、0-1で悲願達成ならず。
決勝を3度とも国立まで見に行った僕にとっても、3度目の正直ならず、でした。
しかし、Jリーグ屈指の実力を誇ったジュビロは、徐々に優勝争いから遠のくようになる。
そんな中でも、名波選手は奮闘していましたが、2006年、出場機会が激減。
このことが、思いもよらなかった展開に。
2006年8月、名波選手、セレッソへ期限付き移籍。
名波選手が、国内でジュビロ以外のユニホームを着るなんて、まったく想像もできなかったので、そのニュースを聞いて、びっくりするとともに、J1最下位に沈んでいたセレッソにとって、とても力強い選手が来てくれた、と喜んだものでした。
名波選手といえば、やはりジュビロのサックスブルーですが、セレッソのピンクのユニホームもよく似合っていました。
2005年に最終節で優勝を逃すも好成績を残したセレッソでしたが、2006年森島(寛)選手、西澤選手、大久保選手などのタレントが揃いながらも、泥沼の最下位。
ここに、パサーの名波選手が加われば、得点力は大幅にアップする、と大きな期待。
しかし、スタメンでの起用がなぜか少なく、モリシとの交代で名波選手が入る、という起用がなぜか多く、セレッソで名波選手の力が十分発揮されないまま、セレッソはJ2降格となってしまいました。
名波選手のコンディションを監督がどう判断したのか、わかりませんが、名波選手とモリシがスタメンで名を連ねたのは3試合のみ。
2人が、もっと同じピッチに立ってプレーする姿を見たかったし、そうなっていれば、結果も大きく変わっていたかもしれません。
しかし、名波選手は、セレッソの選手に、戦う姿勢や試合への臨み方を伝えてくれました。
名波効果は、加入前が1勝3分け13敗、加入後が5勝6分け6敗、という数字にも現れています。
名波選手は、やむを得ぬ事情により、セレッソを離れ、2007年東京ヴェルディへ、そして、2008年にジュビロへ復帰。
今季は、12試合に出場、後半途中からの出場がほとんどでした。
そして、昨日、現役引退を発表。
Jリーグ(J1・J2)通算330試合34得点、天皇杯21試合2得点、セリエA24試合1得点、そして、日本代表67試合9得点。
日本最高のレフティーは、選手としては今季でピッチを去りますが、今度は指導者としてピッチに戻ってくることでしょう。
名波選手、お疲れ様でした。
これからの活躍を期待します。
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