稀代のレスラー、三沢光晴さん、死去。
プロレスリング・ノアの選手兼社長、三沢光晴さんが、6月13日死去されました。
土曜日の夜、読売テレビを見ていて、「三沢死去」の一報を聞いて、びっくりしましたが、試合中に相手の技を受けてのものと聞いて、受け身の上手い三沢選手がまさか、とさらに驚きました。
三沢選手は、13日のノア広島大会のメインイベントで、相手のバックドロップを受けた直後に意識不明状態に。
すぐさまレフェリーが試合を止め、救命措置を施し、救急車で病院に搬送されましたが、帰らぬ人となってしまいました。
三沢選手は、1981年に全日本プロレス入団。
早くから頭角を現し、特に越中詩郎との戦いは前座の名勝負となりました。
メキシコ修行の後、2代目タイガーマスクとして凱旋。
当初はジュニアヘビー級、途中からヘビー級に転向。
タイガーマスク時代は活躍はしていたものの、体格もファイトスタイルも違う、初代佐山タイガーの幻影が常に付きまとい、不完全燃焼感は否めませんでした。
それを吹っ切ったのは、マスクを脱いでから。
試合中に自らマスクを脱いで正体を明かし、三沢光晴に戻ると、そこから大きな進化を果たしていきました。
若手時代の名勝負は、やはりジャンボ鶴田選手との戦い。
日本人離れしたスケールの大きさと底なしのスタミナを持つ鶴田選手に挑戦し、何度も跳ね返されながら、ついに鶴田選手を破り、新世代のエースの座を勝ち取りました。
僕自身は、昔から新日派だったので、全日本時代はもとより、特にノア設立以降は、それほど詳しくはないのですが、三沢選手の強さは、プロレスファンの誰もが認めるところ。
ノアの象徴であるGHQヘビー級王座やタッグ王座に何度も君臨するとともに、社長として数々のアイデアを打ち出してきました。
当たり外れの大きい(?)新日本に比べ、三沢がエースとなってからの全日本、ノアは、長時間にわたる激しい戦いを繰り広げ、ファンの確固たる支持を得ていました。
今回のアクシデントは、直前に受けた技で、というよりも、これまでの激しい戦いの代償が出てしまったのでしょう。
選手としての集大成を迎え、また社長としても、ノアはもちろんのこと、プロレス界全体の発展へ向けて、まだまだ活躍が期待されていただけに、とても残念です。
三沢選手には、天国でこれまでの激闘をゆっくりと癒していただきたいと思います。
三沢光晴さんのご冥福をお祈りします。
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